2010年08月28日

私のこのつたない解説が、そのきっ...

現在、北米の看護の世界では「自己概念」というのはすでに常識となっているようです。
みなさんも「自己概念」を軸のひとつに据えた、
(1)松木光子他訳「ロイ適応看護論モデル序説」NBJ出版局・1993年
(2)石川稔他訳「クリニカルナーシング1看護診断診断分類の理論的背景と診断名一覧」医学書院・1991年、の「自己概念」の項などを参考にして、さらに勉強をしてみて下さい。
私のこのつたない解説が、そのきっかけになるなら、こんなうれしいことはありません。



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posted by サアア at 15:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

「適応」というのは、環境に「なじ...

ロイの理論は「適応モデル」とよばれます。
ここで注意しなくてはいけないのは「適応」という言葉です。
「適応」というのは、環境に「なじんでしまうこと」ではありません。
例えば、常温動物の人間が寒冷地で暮らす時、外界の気温に影響を受けて体温が低下してしまっては適応しているといえません。
そうではなくて、低い気温であるにもかかわらず自分の体温を維持できるようになること、これが「適応」ということです。
すなわち、外界(環境)に抗して自己の恒常性を維持することが「適応」という言葉の意味です。
環境は人間にさまざまな刺激を与えます。
これが人間の恒常性をおびやかすようなものとなる時、人間は十分に環境に適応していないことになります。
このことを感知した人間は、自分の環境に対する適応を高める(環境において自己を維持する)べく「反応」します。
刺激を受けてどんな反応をするかを決めて、反応するのが「調節器」と「認知器」です。
頭を使っておこなうのが「認知器」で、それ以外の生理的な反応は「調節器」がおこないます。
反応がうまくいった時もうまくいかなかった時も、その結果をまた感知して次の反応を決定します。
適応しようとする反応が、つねに成功するとはかぎりません。
かえって環境への適応が低下する場合もあります。
その基準となるのが「適応レベル」です。
適応レベルで相応しいとされる反応が「適応反応」であり、相応しくないとされる反応が「不適応反応」です。
人間の環境への適応がうまくいかない時、手助けするのがまさに「看護」です。
看護は人間の適切な反応を増加させ、あやまった(非効果的)反応をおさえます。
セルフケアが一人の人間にとどまらず、子供と母親といった、人間群でおこなわれることもあったように、システムの自己維持(適応)も、人間群でなされることもあります。
そのためロイは、人間群がシステムとなることもあると指摘しています。



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posted by サアア at 21:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

しかし、病気の時にはそれができな...

ヘンダーソンのニード論を超えてどんな理論もその前提となる理論があります。
新しい理論はそれを修正し、自分なりの創意工夫を付け加えていくものです。
私見によれば、オレムが創意工夫を加えたのは、ヘンダーソンのニード論です。
ヘンダーソンによれば、人間には14の基本的欲求(ニード)があり、看護とは患者がこの14の基本的ニード(欲求)を満たせるように補助することです。
ヘンダーソンの考えはこうです。
ふつうの健康の時なら、人は自分の欲求(ニード)を自分で満たすことができる。
しかし、病気の時にはそれができない、あるいはやりづらい。
そこで看護者がそれを助けるのだ。
この普通の人は自分の欲求を自分で満たしているのだという、ヘンダーソンの考えを、オレムは「セルフケア」という言葉(概念)でくくったのです。
その際、オレムは「セルフケア要件」という小難しい言い方をしています。
「要件」(requsite)とは、「必要なもの」のことです。
だから、「セルフケア要件」とは「セルフケアしなくてはならないもの」のこと、つまり「自分で自分に世話してやらなくてはならないもの」のこと、早い話が、「ニード」(欲求)のことです。
ですから、オレムの「普遍的セルフケア要件」とは、誰もが持っているニード、つまりヘンダーソンの「基本的欲求(ニード)」と同じものです。
その証拠に、ヘンダーソンの基本的欲求の内容とオレムの普遍的セルフケア要件の内容はほとんど同じものです。



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posted by サアア at 08:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

女性たちの話を聞き続けて、総合女性医療を実現するためのヒントを得た。現在、日本各地で、女性外来の試みがなされている。そのなかには、さまざまな取り組みをいくつか実現させているところもあるし、既存の医療施設(病院)のなかに、一部門として設置され機能しているところもある。女性医師を置き、女性を対象とした健康相談、各科への振り分けのみを行っているところもある。しかし、これまでの医療そして、保険医療制度が、「疾患の診断と治療」を目的として発展してきたシステムであるのに対し、どちらかといえば、女性医療の分野は、情報提供、保健教育、疾患予防、症状の緩和、メンタルケア、エンパワーメン卜などの役割が主であって、これまでの医療、保険では扱ってこなかった新しいフィールドの仕事であるといえる。しかし、医療費の削減、健康の増進、家庭や地域や職場の活性化という面からも、たいへん費用対効果の大きい事業であることは間違いない。その少ない費用(介護や疾患の治療費に比べて)を誰が負担するか、という問題は、国の保健政策のポリシーによって決まるだろうが、少なくとも、女性たちは、「自分が長いあいだ、健康で生き生きと、自信をもって暮らせるためには、少々の自己負担は惜しくない」と考えているのである。これはすばらしいことではないか?(こんなに大事なことを、個人の負担としておしつけていいものか、とわたしは思うけれど。)


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posted by サアア at 16:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

そもそも、世界中で、まだ近代的な...

日本の医療制度は、すばらしいと思う。これまで、わが国の医療制度は、理想的な制度として世界中の国からお手本にされてきた。戦後、わが国では、経済の発展と医療技術の進歩によって、国民一人一人の栄養状態も、衛生状態も飛躍的によくなり、寿命は世界一長くなった。それには、経済的にうるおって生活レベルが上がったことも寄与しているが、すべての国民が医療保険に入り、誰でも病気になったら遅滞なく医療機関にかかることができ、先端医療も受けられるようになった。保険制度があったおかげである。たとえば、わたしが働いている産婦人科医療の歴史を考えてみよう。戦前にはお産で命を失う母子もめずらしくなく、1000人に対し何人、何十人という死亡率であったところを、発達した医療技術と、誰もが受けられる分娩給付金のおかげで、均等で質の高い病院分娩があたりまえになり、現在では、お産で命に関わるトラブルに発展することはまれなことである。出産時の死亡は、母親が10万人あたり6人程度、新生児が1000人あたり2.3人と、その死亡率の低さは世界でもトップレベルである。そもそも、世界中で、まだ近代的な医療の恩恵を受けられない人たちの多さを考えると、日本の医療制度がなしとげてきた役割は、本当にめざましく、すばらしいものであったことは誰しも認めるところであろう。しかし、最近では、お産にしても、死なないことばかりではなく、してよかったと感じられる、質の高さが求められている。冷たくオートメーション的な病院分娩、医療によって管理され、産まされる管理分娩が批判され、温かく人間的なお産が求められるようになってきた。ましてや、死亡や後障害などのトラブルの際には、態度が親身でなかったとか、説明がなかったなどの、医療側の対応のしかたが問題にされたりする。


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posted by サアア at 12:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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